折伏に教学は必要ない
信心する上で、教学を学ぶことは大事です。
しかし、折伏するのに、難しい教学なんかは必要ありません。
私は以前友人を折伏する際、延々と「南無妙法蓮華経」の意味を説明した事がありました。
妙法っていうのは宇宙の法則で、うんぬん。
蓮華っていうのは花と果実が同時になるから因果の法則うんぬん。
最終的に友人から言われた言葉は
「お前の話には何の魅力も感じない」
でした。
悲しいかな、一生懸命話したのに、一切友人の心に響いていなかったんです。
そりゃそうですよね。
仏法の説明を聞きたいんだったら本でも読めばいいんだし。
大事なのは自分がこの信心をやってどうなったのか、それを自信持って語ればいいんですよね。
その上で、自分が今までその友人にどう接してきたか、どう見られていたかが重要だと思います。
“人の振る舞い”ですよね。
「お前みたいなヤツに言われたくない」
「お前がそんな事言っても、説得力ない」
「お前なんかがやってる宗教なんてろくなもんじゃない」
とか言われちゃおしまいです。
「お前がそこまで言うならやってみるよ」
そう言ってもらえる折伏が理想ですね。