なんであの人が!? 信心をやめちゃう人
信心をやめることを”退転する”といいます。
そりゃぁこれだけの巨大組織。
何百万人という会員がいるんだから、退転する人がいたってなんの不思議もありません。
そもそも活動家の割合なんて10%もいればいい方。
50人いる部があったら、活動家はやっぱり5人くらいでしょうか。
活動家といっても状況は様々。
- 自分が会合に参加するのはもちろん、率先して部員さんの家を家庭訪問して激励したりするようなA級の活動家は部長含めて1人~2人くらい。
- 座談会や本部幹部会など、メジャーな会合には自主的に参加する活動家が3人くらい。
そして、
- 誘われればたまに会合参加するメンバー。
- 誘っても参加しないメンバー。
- そもそも会えないメンバー。
といったメンバーが9割を占めるわけです。
まあ、地域によってもこうした割合は違うでしょうけど、うちはこんな感じです。
退転の話に戻りますが、未活動のメンバーが退転するのはまあわかります。
(未活動の時点で退転状態なのですが)
で、最初に上げたA級の活動家。
そんな人が、突如として退転したりするんです。
ある日突然会合に来なくなる。
連絡が取れなくなる。
やっと会えたと思ったら
「新聞を止めて欲しい。もう来ないでくれ。」
みたいになっちゃう。
脱会したい、とまで言う人はそうはいませんが。
「あんなに頑張ってたあの先輩、今は退転しちゃったんだって。」
という事が結構あるんです。
「別に、頑張って信心なんかしなくたって、普通に幸せに生きていけるじゃん。」
とか思っちゃったのかな~、というのが私の予想です。
そりゃあ確かにそうなんでしょう。
信心してなくたって幸せな人なんていくらでもいますからね。
でも、やっぱりそれは違うと思います。
順風満帆にいってる時はそれでいいのかも知れませんが、大変なことがあった時にこそこの信心が必要なんだと思います。
やはり「苦難に直面した時、それに負けない自分になれる」事が、この信心の一番素晴らしい所だと私は思っているので。
そんな事わかり切っているはずの先輩方が急に退転する。
これは、信心している人間は私も含め、誰もがそうなってしまう可能性があるという事です。
御書に
「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり(四条金吾殿御返事 1136P)」
とあります。
「ご本尊をいただくことは簡単だが、それをたもち続ける事・死ぬまで信心を貫き続けることはとても難しい。成仏するには信心を続けなければいけませんよ。」
という意味です。
私は日々お題目を上げる時、
「一生この信心を続けさせてください」
と祈るようにしております。