創価学会男子部・ゴチえもん BLOG

創価学会男子部の私が、日々の活動や思うことについて色々書き綴ってみます。

何のために信心しているのか

「何のために信心しているんだ?」

以前先輩から聞かれた質問です。

幸せになるため。
家族の幸福のため。
悩みを解決するため。
広宣流布のため。
苦難に負けない強い自分になるため。
夢をかなえるため。

全部正解です。

でも、
「自他共の幸福のためです。」
と答えた私に先輩は
「違う」
と言い放ちました。



創価学会以外にも数多くの日蓮系の宗教団体があり、同じ南無妙法蓮華経を唱えているにも関わらず、なぜ創価学会だけがこれほどまでに発展してきたのか。
なにが違うのか。

他の宗教だって、きっと素晴らしい人、純粋に頑張ってる人、きっとたくさんいるでしょう。
でも決定的に違うところは”師弟”なんだと先輩が教えてくれました。
もちろん他の団体にも、会員が”師匠”と仰ぐ人間はいるのかもしれませんが、創価学会の三代会長のような偉大な師匠はいないでしょう。

他の宗教に池田先生はいないんです。

正しい師弟があったから、創価学会は他の宗教の追随を許さない宗教界の王者としてここまで世界に発展しました。



私は20歳で入会し、現在まで人生のほぼ半分を学会員として過ごしてきましたが、最初は池田先生の事を師匠などと思っていませんでした。
お会いした事もありません。

幹部の方や先輩が、口を開けば池田先生のためにとか、師匠のためにとか言うのがよくわかりませんでした。
どうして会った事もない人をそこまで尊敬できるのか、と。

しかし本幹で先生のスピーチ聞いたり、新聞や書籍で先生のご指導を読んだり、また先輩たちから先生のエピソードを聞いたりして、池田先生が今までどれだけ苦労しながら、私達一人ひとりの事を考え、本当に命をかけて戦ってこられたかという事を知る内に、徐々に徐々に自分も池田先生の事を【人生の師匠】と思えるようになりました。

それに気づいたのが、10年ちょっと前の事。
当時副部長だった私が部長と2人で一緒に見ていた本部幹部会、池田先生が最後に威風堂々の歌の指揮を執って下さいました。

それを見ていて自然と涙が流れてきたんです。

その頃だって70代後半のご高齢でした。
でも
「みんなが喜んでくれるならなんでもやろう!」
とおっしゃって指揮を執って下さった先生を見て、心の底から「先生ー!」と感じたんです。
部長と一緒になって「先生すごいね!」と興奮して話したのを覚えています。



池田先生がいなければ、絶対に今のこの創価学会はありません。
私達学会員が今こうやって信心してるのも池田先生がいるからなんです。
感謝してもしきれません。



「何のために信心しているんだ?」
という最初の質問。

もし池田先生にその質問をしたら、
「戸田先生のためです!」
と真っ先に言うんじゃないかな、と思います。

今後は私も
「池田先生のために信心しています!師匠のために戦っています!」
と間髪入れずに自信持って、胸張って言うようにします!
創価学会は代々そうやって発展してきたんですから。



もちろん、”幸せになるため”や”広宣流布のため”が間違っているわけではなく、真っ先に”師匠のため”と言える弟子でいよう、という意味で先輩は「違う」と言ったのでしょう。



勤行の御祈念文にこうあります。
創価学会初代、二代、三代の会長を広布の指導者と仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げます。」と。

御祈念文がこう変更された時、学会アンチから批判がありました。

「初代、二代はともかく、まだ生きている人間を広布の指導者と仰げなんて、傲慢なんじゃないのか、自分を本仏と勘違いしてるんじゃないか」と。

全然違います。
もし池田先生が
「いやいや、私の名前をそこに載せるなんて恐れ多いよ」
などと遠慮していたら、広宣流布は進みません。

たとえ外野にどう言われようと、厳然と師弟に生き抜く人間が一番強い、そうやって戦う事が、一番功徳が出る、一番幸福になれるんだ、という池田先生の思いからこうなってるのです。
なんとありがたい事でしょうか。



「師弟相違せば 何事も成すべからず」

池田先生の心を我が心として、何かあった時に
「池田先生だったらどうするか?」
と考えて、勇気の決断をできる自分になります!



師匠のために、11.18を大勝利して迎える決意です!!

 

任用試験には出ません

1時間の唱題会を行います。


妙子はお題目10遍で息継ぎをします。

法子は9遍で息継ぎをします。

蓮司は7遍で息継ぎをします。

華は12遍で息継ぎをします。

経雄は15遍で息継ぎをします。


唱題のスピードは1篇1.2秒とする。
また、唱題開始時の題目三唱に20秒かかるとする。


全員の息継ぎのタイミングが合い、気まずい間が開くのは唱題会中に何回あるでしょうか?


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ちょうど今日、5人で唱題会をしていて全員同時に息継ぎして唱題が止まった事があったので、こんなどうでもいい問題を唱題中に考えてしまいました。

(注)適当に考えてるんで、真面目に計算とかしなくて結構です!

人事の季節

今、男子部では人事が様々動いており、私も新たな役職を頂きました。

以前も書きましたが、学会の役職は責任職であり、役職があるから偉いとかは一切ありません。

また、役職がないからまだまだ信心が足りない、とかもまったくありません。

そこを勘違いしてしまうと、信心が曲がってしまい、組織をおかしくしてしまう原因になってしまいます。

しかし役職のある人間は経験も力もあるはずですので、先輩として後輩を自分以上の人材に育てていく責任があります。

今回新たな役職をいただいた人だけでなく、そうでない人も、全員が新たな決意で前進していきたいですね。

人によって役職の受け取り方も様々です。
「今の自分にそんな役目は受けられません。」
と断る人もいれば、
「自分にそんな役目を与えていただけるのであれば、さらに決意して頑張ります。」
と前向きに捉えられる人。

私自身、いただいた役職は全て受け切ろうと決意していますが、「やらせてください!」と言った後に毎回悩みます。
自分より明らかにふさわしい人間がいるのに、何で自分なんだ、と。

率直にその思いを先輩にぶつけた事もありました。

先輩は
「全然違うよ。華々しい結果を出している人が必ずしもリーダーに向いているとは限らない、適材適所なんだ。お前の使命なんだよ。」と。

そう言われてみても、なかなか納得はできませんでしたが、もうやるしかない、今自分にやれることを精一杯やろう、と決意しました。

逆に、誰かが役職をもらった時に、
「なんでアイツなんだ、俺の方が頑張ってるのに!」
などと思ってしまう人にはリーダーの資格は無い、という事は間違いないですね。

人事というのは、各人のそういう生命を的確に見抜いた上で検討されています。

コイツならやれると信用されて与えられた役職、ひいては先生からいただいた役職と捉え、全身全霊で頑張ります!

「やっぱアイツにはまだ早かったな…」
なんて言われないように!!(汗)