にんげんだもの
信心していれば何の問題もなく一生安穏として暮らせるわけではありません。
学会員だって離婚もします。
一家和楽を祈っているわけですから、できれば離婚などせずに一生家族が仲良く暮らせるのが理想です。
しかし、人間対人間ですから、何がきっかけでどうなるかなんてわかりません。
離婚が原因で信心がおかしくなってしまうのでは困りますが、そこをまた信心で乗り越えていければ、その人の人生は勝利したと言えるのではないでしょうか。
学会員だって事故や事件に巻き込まれて亡くなる事だってあります。
東日本大震災などの震災では当然学会員だって多くの方が亡くなっています。
時には犯罪などの事件に巻き込まれて亡くなる事もあるでしょう。
非常に悲しいことではありますが。
その場合も、なんで信心しているのにこんな目に…と思って退転してしまうのか、それとも厳しい現実を見つめながらも前を向いて歩いていくのか。
そこで信心が試されるのだと思います。
良い事があれば
「功徳だ」 「守られた」
悪い事があれば
「絶対意味がある」 「この事で自分に信心を教えてくれたんだ」
もはや決まり文句のようですが、それでいいのだと思います。
どんな出来事にも意味を持たせていく、”価値創造”がこの学会の信仰です。
大切なご家族を亡くした方に軽々しく「意味があるんですよ」なんて言えませんが、最終的に本人がそう思える事が大事だと思います。
以前友人から
「どんな大変な事があっても意味があるとかって、前向きを越えて現実逃避じゃないか?」
と言われたことがあります。
確かに何も考えずに
「意味がある。御本尊がなんとかしてくれる」
なんて言っていたらそれは現実逃避です。
絶対に何とかするという強い決意と自行化他の実践があって初めて乗り越えられる事です。
とまあ、最終的に言いたいことは…
学会員だって人間なんだから色々ある!
でも信心根本で頑張っていこう!!
って事です!!以上!
時は来た!
幹部の子供が未活動、なんてよくある話です。
だいぶ前ですが、そういった幹部の事を男子部の先輩が、
「会合で偉そうに幹部指導なんてやる前に、まず自分の息子をなんとかして欲しいよな〜。マジで。」
とか言ってた事があって、その時は私も
「確かにそうですね。」
なんて同調してしまった事がありました。
しかし今ではその考えは間違っていた、と思います。
大幹部の子供だろうとなんだろうと、末法における一人の凡夫である事には変わりないので、その人が信心するかしないかなんて、誰にもわかりません。
小さい時から勤行をして、親と一緒に会合に参加していても、大人になったらそれが正しい事だと思えない、って人だっていくらでもいます。
親が一生懸命やっているからこそ反発してしまう場合もあるし、大人になってもそのまま素直に信心を続けられる人もいます。
友人を折伏しても、最初から素直に信心する人、一時は反発したけど何かをきっかけに後に信心する人、結局今世では信心しない人、様々います。
子供だってまったく同じです。
学会員の夫婦に生まれたから信心するのが当たり前、と思ってはいけないんだと思います。
だからといって、子供が信心しなくても仕方ないや、で済ますのではなくて、親は子供を折伏する思いで育てていくべきと思います。
私も子供がおり、将来反発されたらどうしよう〜、などと不安になる事もありますが、必ず広布を担う大人材に、と日々祈っております。
ある婦人部幹部の娘さんが、未活どころかむしろアンチなくらいだったのですが、何があったのか
「母の信じているものを信じてやってみます。」
と言ってご本尊をいただいた、という事がありました。
その時の感動的な入会勤行会は忘れられません。
子供がどんなに信心に反発していても、絶対にやる時が来るんだ、と確信した出来事でした。
ですので、幹部の子供が未活だったとしても、
「親がダメなせいだ」
などと思わないでいて欲しいです。
絶対に時が来ます。
《決意》の大切さ
私が創価班大学校生だった時、団長から折伏セミナーの話があり、
「是非、友人と一緒に参加しよう」
と言われました。
それに対して私は、
「はい、友達の都合が付けば一緒に行きたいです。」
と答えました。
すると団長は
「いや、絶対に連れ出そう!」
と。
私は
「はい、ですから、友達の都合次第です。」
と。
団長「うん、そうなんだけど、まずは絶対に連れ出すんだ!っていう、君の決意が大事なんだよ。」
私「はい…友達が大丈夫なら、絶対に連れ出します!」
団長「違う、友達がどうこうじゃないんだ。今聞きたいのは、君の決意なんだよ。」
私「でも、相手に聞いてみないとわかりません。」
団長「うん、しかし、相手の都合どうこうは取り敢えず置いといて…まずは君が絶対に連れ出すと決意する事が必要なんだよ。」
私「え〜…でも…」
てな感じのやり取りがしばらく続きました。(笑)
入会してまだ数年の頃で、随自意だの随他意だのなんて考えもしませんでした。
そして
「営業の飛び込みだって、『もうこの会社はこんな商品間に合ってるかも知れないし…』なんて心配してたら仕事にならない。たとえ必要とされてない場合だって、絶対に売ってやるという決意で売り込むしかないじゃないか。」
と言われて、やっと納得出来た事を覚えております。
《決意》の大切さを教わった出来事でした。
勘違いしないでいただきたいのは、相手の都合なんて無視しろ、という事ではなく、どういう状況だろうが絶対にやるんだ、という決意がなければ、出来るものも出来ない、という事です。
常に決意を大切にして参ります。