創価学会男子部・ゴチえもん BLOG

創価学会男子部の私が、日々の活動や思うことについて色々書き綴ってみます。

もう、ぜ~んぶ功徳!!

実に1年2ヶ月ぶりの更新。
お久しぶりです。
まだギリギリchopで男子部やっています。

 

 

この信心、決意した瞬間に結果が出ている、といいます。
そしてそれをまざまざと実感できた体験が先日ありました。

 


我が家には3人の子供がいますが、1歳半になる末の娘が、夜なかなか寝ないことがあるんです。
先日も、全然寝なくて。

 

その日、妻は日中からずっと体調が悪く、早く休みたいのに休めない。

 

なのに娘はテンションMAXのままずーっと妻にまとわりついていて。

 

妻もさすがに
「もうホントに勘弁して~」
って言ってるくらい。

 

で、上の子たちもそうなんですけど、抱っこ紐で抱っこして外を散歩すると、結構すぐに寝てくれるんですよ。

 

私その時もう、Tシャツにパンツ一丁で布団入ってて、完全に寝る態勢だったんですけど、まったく娘が寝る気配ないし、あまりに妻がツラそうなので、
「よし!散歩行って寝かしつけてくるわ!」
って決意して。

 

夜中0時くらいでしたけど、ガバっと布団から起き上がって、自分の部屋行って着替えて、抱っこ紐つけて寝室に娘を迎えに行ったら………

 

もう寝てたんです。


やろう!って決意した瞬間に結果が出たんですよ。
まじで。
すごい功徳です!!

 


すごくない?
そんなの功徳じゃない?
偶然だろう?


そう思う人いるかもしれません。
けど、どんな小さなことも功徳だ功徳だって、みんなに伝えていくことが大事なんだと、戸田先生が言ってました。

 

それを聞いたみんなが、
「よかったね!この信心すげぇ!」
って歓喜すること自体が功徳なんだって。

 

それを随喜功徳というそうです。

 


職場のおばちゃんにアメもらいました。功徳です。

 

ご飯がとっても美味しかった。功徳です。

 

Youtubeで見たお笑い動画でクスッと笑えて元気出ました。功徳です。

 

今日も一日大変だったけど、なんとか乗り越えることができました。功徳です。

 


僕ら凡夫の身で、あれは功徳だけどこれは功徳じゃない、なんて立て分けるなんて、おこがましいですよ。

 

もう全部功徳でいいじゃないですか。

 

 

「五十展転(ごじってんでん)」というのが法華経にあります。


法華経を聞いて歓喜し、その歓喜を人に伝えて、またその人が次の人に伝えて、50人目に伝え聞いた人の功徳でさえ絶大である、というものです。

 

自分が歓喜しているからこそ、をれを聞いた人も歓喜できるんです。

 


「いやぁ、特に功徳とかないですぅ。」
なんて言ってる人が折伏したって、相手は歓喜しないし、自分もやってみようなんて思わないですよね?

 

 

どんどん功徳を共有して
みんなで歓喜して
これでもかというくらい
功徳をもらっちゃいましょう!!

 


もう、ぜ~んぶ功徳!!

 

もう、歓喜したモン勝ち~!!

ホントにやりきったのか!?

世界青年部総会、ありがたくも創価大学に役員として着任させていただきました。
私自身も今回御本尊流布をする事ができ、大歓喜の中での着任となりました。

とにかく、会場に集ったみなさんの生命力がすごかった!
いつもなら、SGIメンバーの勢いに圧倒される日本の青年部、という感じが常ですが、今回はまったく負けていなかったです。
SGIメンバーも、日本のメンバーも、みんな様々な思いを抱きながらも、戦いきってこの場にのぞんでいるんだと、心から感じました。

 

朝6:30に出発。

5時間立ちっぱなしの着任。

帰宅したのは19時すぎ。

ヘトヘトでリビングに倒れ込み、「今日はやりきった~!」と思っていたところへ先輩から電話。

先輩「今どこ?」

私 「自宅へ戻ってきたところです。」

先輩「なにやってるの?」

私 「食事しようと思ってます。」

先輩「オンタイムで参加できなかったメンバーが今から会館にくるから、創価大学での感動を伝えに来てよ!」

私 「ですよねーーー!!」

ということで、そのまま会館へ。
結局23時近くまで、続々とメンバーが会館へ集ってきて、様々話をさせていただき、私自身も皆さんからさらに元気をいただきました!
「全会場がメイン会場」だということを、改めて実感!
役員を終えて「やりきった」とか思ってた自分が恥ずかしくなりました。

最後の最後まで戦わせてくださった先輩に感謝!

 

好き好きすー

あんまり信心と関係ないけど。

 

 

 

20年ほど前、ある女性アーティストのファンクラブに入っており、ファンサイトの掲示板に頻繁に書き込みをしていた時期があった。

 

そこで、その女性アーティスト以外で好きなアーティストを自己紹介的に書く流れがあって、私はそこにB'zが好きだ、という事を書き込んだ。

 

するとある人が

「自分はコレコレこういう理由でB'zがすごく苦手なんだ」

と返信してきた。

 

言葉は柔らかかったが、正直かなり腹が立った。

 

私がしつこくその人に

「B'z聞いてみてくれよ!すごくいいから!」

と勧めたりしたのであれば、

「いやぁ、ちょっとB'zは苦手なんだよね」

と言ってくるのは構わない。

 

そういう訳でもないのに、人が好きだというものをわざわざ否定する必要があるだろうか?

いや、無い!

 

でもその時は場の雰囲気を壊したくなかったので、スルーした。

 

 

 

先日も、ある友人が、

「熱血系の人が好き、特に藤岡弘、が大好き」

という話をしてきた。

 

それに続けて

「でも松岡修造は嫌い」

という事を言ってきたので

「好きな人を言うのはいいけど、わざわざ聞かれてもいない嫌いな人を言う必要は無いのでは?アレが嫌い、コレが嫌い、という話をされていい気分はしないよ」

と答えた。

 

「食べ物の好き嫌いを言うのと何が違うの?藤岡弘、を好きなのも自分のアイデンティティー、松岡修造を嫌いなのも自分のアイデンティティーじゃない?」

 

「それはそうだけど。この話を松岡修造が好きな相手にしたら、ケンカになるかもしれないよ。逆の立場で、自分が好きなものを嫌いって言われたらどう思う?」

 

「別に、ああ、そーなんだ、って思うだけだけど」

 

その松岡修造嫌いを自分のアイデンティティとして、何を差し置いても相手に伝えたい重要な情報であるのなら、言っても構わないけど。

相手が松岡修造好きだった場合、嫌な思いをさせてしまうリスクがあるのは間違いない。

人間関係を円滑に進めたいのであれば、そういうリスクはなるべく排除すべきだと思う。

そんなような事を言ったのだが、あまり彼には納得してもらえなかった。

 

 

 

以前、仕事中に流れていたテレビを見ながら先輩が

「俺、この人嫌い」とか

「この音楽、大嫌いなんだよねー」

と、口を開けば嫌いなものばかりを並べる方がいた。

 

その先輩がどんな人間かを誰かに説明するとしたら、

「◯◯と××と△△と□□が嫌いな人」

としか言えないよ。

 

アレが嫌い、コレが嫌い、という話ばかりを聞かされると、疲れてしまいます。

 

何かの漫画で

「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」

というセリフがあって、本当にその通りだと思います。

 

といいつつ、

「”嫌い”ばかりを語る人が苦手」

と言ってしまっている私。

まあ、そこはご勘弁を。

 

 

 

私は

 

B'zが好き!

北斗の拳が好き!

G-SHOCKが好き!

夏でも熱いお茶が好き!

写真を撮るのが好き!

鶏肉が好き!

芋焼酎お湯割りが好き!

ホラー映画が好き!

 

好きなものを挙げたらキリがありません。

どんどん”好き”を語りたいです!