なぜ折伏をするのか
なぜ創価学会員は折伏をするのでしょうか。
折伏(しゃくぶく)とは…
詳しくはWikipediaでもご覧ください!
分かりやすい言葉で言えば「勧誘」となっちゃうのでしょうか?
(正直、折伏を勧誘と言われるのは好きではありませんが。)
友人・知人に日蓮仏法を語り、理解してもらう事です。
相手が入信すれば「折伏ができた」といいますが、相手が信仰するしないに関わらず、人に仏法を語る事自体を折伏といいます。
「自分達が信じるのは勝手。それを人に押し付けるな。」
ってみなさん思いますよね。
宗教にも色々ありまして、
・自分自身が悟りを開く事を目的とした宗教を小乗教。
・自分も、自分の周りの人も共に幸せになろう、というのが大乗教。
宗教を乗り物に例えて、多くの人が乗れるか乗れないか、という事です。
当然、大乗教の方が優れていると言えます。
宗教の高低浅深(こうていせんじん・簡単に言えば優劣)を決める基準“五重の相対”というのがありまして、その中のひとつ、大乗教と小乗教をたて分けるこれを「大小相対」と言います。
(任用試験受験者のみなさん、ここ試験に出ますよー!)
日蓮仏法は大乗教なので、自分のみの幸せではなく、自他共の幸福を目指します。
「自分達だけやってりゃいいや、他の人なんて知らん」、という低い教えではないので、友人・知人に教えたくなるのです。
だから折伏をするんです。
「友人を幸せにしたい」
という考えに対して勘違いしないでいただきたいのは、別にその友人を不幸だと思っているわけではありません。
悩みがある人は、その悩みの解決につながる信心ですし、今幸せな人はさらに幸せに、自分らしく輝いていけるのがこの信心なんです。
事実、友人を折伏に行った際
「俺より幸せになってから出直して来い」
と言われた先輩の話もありました。
しかしそれは違うんです。
例えば、「お金持ち」は世間から見たら幸せですが、お金がなくなってしまったらその幸せは消えてしまいます。
そういった外の条件に左右される幸せを「相対的幸福」といいます。
一方、貧乏でも、病気してても、どんな苦難があろうと、生きている事自体が幸せ、と思える「絶対的幸福」を目指すのがこの信心です。
(任用試験受験者のみなさん、ここも試験に出ますよー!)
私自身、この信心の一番スゴイところは、「どんなに大変なことがあってもそれに負けない自分でいられる事」だと思っております。
自分自身、「この信心はスゴイ!」という確信を持っているので、友人を折伏したくなるのです。
御書に
「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となつて仏になるべきなり(法華初心成仏抄P552)」
とあります。
“相手が信じようが信じまいが法華経を強く語っていきなさい。
信じる人は仏になり、信じずに悪口言ってくる人も、法華経に関わったことには違いないので、いずれ仏になりますよ。”
という意味です。
友人に折伏されちゃったあなた!
あなたがどう思っていようが、この仏法に関わったからには、いつかは成仏しちゃうんですよ!
ちなみにここで言う“成仏”とは“死ぬ”事ではありません。
「今は苦しくても死んだら極楽浄土に行ける」
という念仏の教えと違い、日蓮仏法は、
「一生の内に、生きている内に幸せになれる(成仏できる)」
という“一生成仏(いっしょうじょうぶつ)”の仏法なのです。
(任用試験受験者のみなさん、ここも試験に出ますよー!)
今度友人に折伏された際には
「あー、やっべー、俺、成仏しちゃうー。
毒鼓(どっく)の縁で仏になっちゃうー。」
などとからかうのは止めてあげて下さいね。
絶対にですよ!
日蓮大聖人は「折伏をしなさい」と教えているんです。
これで、学会員が一生懸命折伏する理由はわかってもらえたでしょうか。